江戸の水道の歴史

江戸の水道の歴史



江戸の町の生活用水

投稿日:2011/11/16/投稿者:モリマン

江戸時代に基礎がつくられた水道

江戸の水道の歴史は江戸時代の発展とともに整備されていきます。
家康の時代は小石川上水と溜池上水の2種の用水を整備拡充し、江戸の町の生活用水をとして利用されてきました。
本格的に水道 を整備するようになったのは3代将軍家光の時代で、江戸の町の整備とともに、 井ノ頭池を源とする神田川の水を、一旦、関口村にある大洗堰でせき上げ、水戸藩邸まで導水したとされる神田上水が完成し、利用されるよ うになりました。
 その後は神田上水と以前からあった溜池上水の2本が江戸の暮らしを支える形になります。
3代将軍家光以降も江戸の発展は著しく、人口も増加し、徐々に神田上水と溜池上 水の2本では供給が足りなくなり始めてきました。
 そんな承応2年、幕府は多摩川の水を江戸に引き入れる「玉川上水」の計画に着手。
  羽村から四谷大木戸までは約43キロメートルに及 ぶ導水路で、江戸城や四谷、麹町、赤坂芝、京橋方面の給水をこの玉川上水でまかなうことになりました。
 その後、明暦の大火で江戸城始め、江戸の町は火の海となり、その復興再開発の際には  あらた に亀有上水、青山上水、三田上水、千川上水があいついで開発されました。
 ところが、8代将軍吉宗の時代の享保7年に亀有・青山・三田・千川の4上水が突然廃止されてしまいました。
なぜ かというと、江戸の大火の原因が上水により地脈の分断だという説が採用されたためで、必要最小限の上水以外は廃止すべきだという方向になったためです。
江戸の反映はこうした水道に支えられてきたと いうことができます。
生活用水としてはもちろんのこと、工業用水としてや、運搬用の航路としても利用されてきた上水。
治水がしっかりできていたこその江戸の反映と言えるのではないでしょ うか? その後江戸幕府は倒され、明治となりましたが、水道が整備されていたこの場所は東京という名でその後も発展し続けました。
高度成長時代を支えてきたのもまた江戸時代に基礎がつくられた水道に よるものと言っても過言ではありません。
すべての基本は水にあるのです。
それほどしっかりとした作り込みが江戸時代になされていたということなのです。
このようにその町の 歴史を知る時に「水道」という部分に注目するのも面白いでしょう。
ひとつの歴史の見方として一度日本や世界の水道について考えてみるのはいかがでしょうか?


硬水と軟水ってすごく好みがわかれると思います

本当に硬い水を飲んだことがないと、いつも飲んでいる水がどのくらいやわらかいかがわからないと思います。500mlのペットボトルを同時に2本買う機会なんて類稀なので、比べてみる目的で買わないといつまでも硬いやわらかいがわからないままです。


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